障壁としてのガラス

我々建築設計者の悪いクセで「外部に開いた」とか「庭と一体の」とか、ガラスを使って視界を開くことで、建築の内外をひとつながりの空間であると認識させようとする。
窓枠や中柱の収まりを工夫したり、床から天井まで目一杯の窓とするのも、あたかも窓やガラスがないように見せようとする仕掛けのひとつではある。

しかし透明で目には見えないけれど、そこには確実に障壁として「ガラス」が存在する。
視覚以外の情報は伝えてくれない。
開け放たれた座敷や縁側であれば、庭の空気の質感、土や草花の匂い、生物の気配や微かな鳴き声など、感性をくすぐる心の栄養も届けてくれる。
むしろガラスがないことの方が贅沢なのかもしれない。

この頃ひとりキャンプが流行ったり、平家の家が好まれるていると聞く。
ガラスで守られすぎた場所で生活している反動から、外と直接つながることの意味が見直されているのだろう。
色々な感覚が鈍ってしまった自分に気づき、五感を刺激してくる場所や空間がふと恋しくなってくる。

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