寺子屋

文化財を町の子供に開放するのは色々勇気のいることです。

旅行などで訪ねた場所、予想に反して素晴らしいものに出くわす事がある。
山形県かみのやまの武家屋敷群。
観光客用の入館時間が過ぎていたので、ちょっと外側を眺めるだけのつもりで歩いていくと、一棟だけ明かりが灯いて中から子供たちの声がする。
それが「寺子屋」として活用されている旧曽我部家だった。
古い建築をきちんと管理しつつ、観光資源としてだけではなく、そこに暮らす「市民自身が地域のために有効利用」しているところに意味がある。
子供たちの活動の場として、大人たちがボランティアで運営しているようだ。

古民家はもとより廃校になった校舎や廃線の駅舎など、商用の活用例はよく耳にするようになってきているが、行政主導で子供等の自由な成長を促す施設はなかなかお目にかかれない。
上山市に拍手。
偶然の出会いに感謝。
詳しい情報は下記URLで。

https://www.city.kaminoyama.yamagata.jp/site/kouhoushi/271001.html

乗り物のデザインに思う

観光バスも例外ではなく、「業務用」の乗り物のデザインが面白い。

鉄道車両や飛行機・船舶などはいうに及ばず、農業用のトラクター、ユンボなどの建設機械まで、そういう目で見ているとなかなか優れたデザインのものが多いと感じる。

「業務用」の所以は使う側もプロフェッショナルである事。
高級路線の差別化された意匠であったり、あるいは機能美に徹した潔さまで、評価基準が明確で単なる流行や情緒的な判断からは一線を画す。
それはデザインする側の意欲をも刺激して、妥協のないものを生み出す原動力となっている。
地面に固着しているか移動しているかの違いはあるが、建築家を起用した乗り物も登場している。
街や自然との関係を意識した形態と居心地の良い空間をデザインするというミッションは確実に建築家の守備範囲である。

桜の老大木とバックシャンな sakura bus

一方、乗用車(特に日本の)のデザインには物足りなさを感じて久しい。
デザインの比重が大きな商品であるにもかかわらず(そういう商品だからなのか)、販売台数という命題がデザイン自体に時流への迎合を強いる。
「モノ」へのこだわりが薄れる世相においては、突き抜けた発想や、とんがりすぎた提案は「売れない」の一言で却下されてしまうのだろう。

家づくりの世界も同様。
デザイナー住宅とか建築家の家とかと銘打った俗に言う小洒落た商品が売れているようである。
乗用車のデザインよろしく、売れスジにすり寄っている感じがしてなんとなく気持ちが悪い。

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