EXPO2025

最初からみんなが両手を挙げて賛同するような「考え」に未来はない。

8割の反対意見を乗り越えた先にこそ新しいまだ見ぬ世界があらわれる。

前例のないことをやろうとするときの心構えのようなものである。

当初から政治的な色合いが滲んでいて懐疑的な見方も多い今度の万博。

予算の上振れや会場建設の遅れなどで「やめちまえ」的な論調がメディアを賑わせている。

博覧会という言葉自体が時代錯誤的に響くので、今更万博?という短絡的な結論に走りがちなのか。

「モノ」や「コト」に行列をつくり、写真を撮って一丁あがり的なイベントなら確かにやめちまった方がいいのかもしれない。

しかし、この万博が全く新しい博覧会のカタチやイミを体感してほしいと目論んでいるのなら話は違ってくる。

コロナ禍のリモート生活を通じリアルの大切さを痛感した私たちは、あらゆる国や地域の「ヒト」が集うことの大切さを知っている。

同じ時間・同じ空間の中で地球の未来への課題を共有するまたとない機会となるかもしれない。

いろんな国や地域で対立や紛争が広がり続ける世界。

気候変動をはじめとして環境が破壊され続けている地球。

科学技術のモラルなき暴走に怯える人類。

私たちひとりひとりの振る舞いが自らの未来を決定づける大きな分岐点に立っていることをこの万博が示せるか、そこが重要なのだろう。

賛否の判断は今万博の開催理念をちゃんと読んでみてから判断しても遅くはない。

https://www.expo2025.or.jp/overview/philosophy/

施設の建築自体は神宮外苑再開発のような景観問題を含んでいないのだから。

シャッターチャンス

通勤で新潟~加茂を車で往復している。
田んぼの真中をつっきるバイパス道は見通しもよく突然ハッとするような美しい風景に出くわすことがある。

車を停めてしばし眺めていたり写真におさめたりしたいと思うのだが、即座にハザードランプをつける思い切りがない。
もう少し先の車を停めやすい場所でとかと考えているうちに段々と見る角度が変化して凡庸な風景に変わってしまう。
本当はUターンしてでもその場所にもどるべきなのだが、次の機会があるだろうと勝手に自分を納得させてしまい、おおいに後悔することになる。
特に夕焼けや朝霧など、刻々と変化する自然現象は一瞬でチャンスを逃してしまう。
次の日の同じ時刻に同じ場所を訪れたとしても、なかなかその感動的な風景は再現されない。
まさに一期一会なのだ。

数字ばかりが独り歩きする世知辛い世の中だからこそ、ちょっとみちくさできるくらいに時間と心にゆとりを持ちたいと思う。

目の前を何気なく通り過ぎてゆくチャンス。それらを感度よくつかまえられるためにも。

車じゃなければチャンスを逃さない。

床材のこと

人の皮膚が直接触れる部分の素材は自然由来のものが気持ち良い。
肌着はコットン素材が圧倒的に多いし、シルクなども悪くない。
肌触りの心地よさと調湿性は感覚的にも機能的にも理にかなっているのだろう。

建築で直接肌に触れるものといえば、便座や浴槽。
木の便座や檜の浴槽など肌触りの良いものも無くはないが、機能性には替えがたくプラスチックのものが当たり前になっている。
お尻がちょっとべたついたとしても我慢の範囲内とあきらめている。

問題は床材である。

個人的には、自宅では「スリッパ履かない派」なので、足裏の感触はとても気になる。
特に暖かい時期は素足ほど気持ちの良いものはない。

素地の木の床やたたみの上を素足で歩ける幸せ。
カーペットの優しさも捨てがたい。
他にもココヤシや籐・竹等を使った床材は五感に訴えてくるものがある。

ところが昨今の住宅では、メンテナンスフリーやクレームレス、偏った健康志向などから、自ら材料の選択肢の巾を狭くしてしまっている。
残念なことに素足が心地よいとは感じさせてくれない床材が多く使われるようになってしまった。
極薄表面材の摩耗を防ぐ強力樹脂コーティングがかかったフローリング。
木目を立体的にプリントしたビニル床シート。
見た目だけは「木」なのだが最も肝心な木の床の美点、調湿性や足触りの良さを忘れてしまっている。
もっとも「スリッパ履く派」にとっては見た目だけで十分満足なのも分からなくはない。
だって「木の床」ではなく「フローリング」を望んでしまっているわけだから、、、。

決まりきったデフォルトの設定をリセットしてみない限り本当の我が家のイメージは浮かび上がってこないような気がする。

サンドカーペット:南の島のレストランはおしゃれをしても素足。

佐渡のパッションフルーツ

佐渡産のパッションフルーツを食べた。
好物だったので佐渡の魚の直売所で見かけて衝動買い。
酸っぱ甘くておいしかったです。
南国のフルーツと思っていたのに、佐渡でもつくってたのね。
生産者の発想と努力に脱帽。

ところで昨今の果物業界って「糖度」戦争みたいになってませんか。
糖度が高いと高級フルーツみたいな。
甘けりゃ良いってもんじゃないよね。
単純な評価軸でつっ走っちゃういまどきの世相を反映してる感じがしてどうもいただけない。
「あま~い」とか「やわらか~い」しか言えないような語彙欠乏症の食レポーターも乱造しています。

やっぱり果物はそれぞれの風味や食感にみあった甘さであってほしい。その加減をわきまえている事が美味さの秘訣かと。なかでもパッションフルーツや、いちじく・柿なんかは見た目が味とリンクしているあたりが最高なんじゃない!。

大人の修学旅行

このところ観光バスを仕立てての団体旅行に参加する機会が増えた。
といっても年に1回くらいのものなのだが、修学旅行以来といっていいほど遠い記憶しかなかったので、いたって新鮮味がある。
先日は京都まで片道8時間!のバス移動。
飛行機なら1時間でいけるのにと、かなりゲッソリした気分だったのだけれど実際は全然楽チンなのである。
それもそのはず、バスの後ろ半分は「移動宴会場」になっていたので退屈する事はありません。
飛行機での8時間だと眠らない事にはとても間がもちません。
トイレ休憩がちょうどいいアクセントになるし、
とにかく沢山の目的地にダイレクトに連れて行ってもらえるのは、ある意味VIP待遇並みといえるかもしれません。

みんな最新型の機材です。

常々旅の醍醐味は自分の脚と公共交通機関を駆使した移動にある、と筋肉痛におびえつつ強がりを言ってきた身としては、目からうろこ。
「旅」と呼べるのかはさておいて、「おとなの修学旅行」と割り切ってしまえば観光バスの団体旅行も思いのほか楽しいものですよ。

井ケール

親戚の蔵からこんなものがでてきました。
無垢の真鍮のかたまりを削りだしてできている。
なんとなく「お宝」のにおいが!
妄想をふくらますと、SF映画にでてくる宇宙船起爆装置の解除スイッチのようにも見える。
木箱に「中村浅吉測量器械店」とあるので、早速ネット検索に。

ありました!
国会図書館の近代デジタルライブラリー。
大正11年発行「中村浅吉測量器械店型録」にのってました。
「Equerre or Cross-staff Head   井ケール」
For 45°&90° angles, in wooden box, with tripod……¥ 6,00

「お宝」とはいかなかったようですが、当時、ご先祖さんたちが土木工事の測量用具としてつかっていたものらしい。

ところで、これ。どうやって使うのでしょう?
ご存知の方、ご教授願います。

雪を楽しむ

寒波がひとだんらくした穏やかな週末でした。
まだ雪と闘っている地域の人たちには申し訳ない気持ちを抱きつつ、雪を楽しんできてしまいました。

福島潟の遊歩道

新潟市内でも、2シーズンつづきの雪国らしい降雪で、「雪を楽しむ場所のある家」なんてのもおもしろそうかと感じたしだいです。

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