精度とにげ

今、マンションの内装改修をやっている。ところが予想以上に元々の建物の精度が悪い。平らでなかったり真っすぐでなかったり、どうやって辻褄を合わせていくのか。大工共々毎日頭を悩ませている中で、「にげ」の重要さ加減が身に染みている。

「にげ」というと、一般的には「にげを打つ」等ネガティブな意味で使われることが圧倒的に多い。しかし、ものづくりの現場こと建築においては、この「にげ」をポジティブに操れるかどうかが仕事の質を大きく左右する。「余裕」とか「あそび」とは少し意味合いが違うこの「にげ」という感覚。熟練の技とはこの「にげ」を上手に使いこなせるかにかかっていると言っても過言ではない。どこにどれだけのにげをとるのか。あえてルーズにしておく部分があってこそ見せ場がピタッと納まるのだ。野丁場でたちあがってくる骨組みと、ミリ単位で納める仕上げとの精度のギャップをつなぐ。また、熱による膨張収縮や、木材の含水率変化による「あばれ」の吸収。地震時の躯体の変形を外壁や窓ガラスに直接伝えない納まりなど、これらの「にげ」は建築を大型化・高層化していくためにも必須の概念なのである。

「にげ」を駆使しないとできません!

ところが、CADをはじめとして日常的にデジタルな道具を使っていると無意識ににげの感覚が鈍っていくように思う。すべての情報が等しく重要そうに扱われるので、常に情報の優先順位を意識していないと、つまらないところに拘ってしまい、見落としてはいけない重要な部分が抜け落ちてしまう。いきなり自分の欲しい情報だけを注視せず、マクロ的に眺めてから部分に降りていく。いまどきの誹謗中傷や重箱の隅をつつくようなクレームも、にげの感覚の退化がひとつの原因のような気がする。

全ての物事が人の営みである以上、設計図通りに納まるはずがないのだから。

どうにか納まっているように見える。マンションのリノベーションでした。

眺めのいい部屋

映画「眺めのいい部屋」では、主人公の従姉(イギリス人である)が旅先のフィレンツェでアルノ川添いの部屋が用意されていないことに不満を抱く。上流階級に属する自分たちには当然そういう眺めのいい部屋が用意されるべきという論理がまかり通った時代のことである。

一方、現在では特に日本人旅行者に客室の窓からの眺めに殊更こだわりをもつ人が多いらしい。添乗員や現地の係員にとって、特に新婚旅行のカップルさんには細心の配慮が必要なのだそうな。お忍びで来ているVIP様ならいざしらず、昼間は観光やレジャーでほぼ部屋にいないので、そこまでこだわる合理的な理由はないように思う。しかし客室に案内された時、窓のカーテンを開けたほんの一瞬の感動であったとしても、それが旅の記憶としてはとても重要だという気持ちはわからないでもない。

オンザビーチのコテージからの眺め:樹木や砂浜付きなのは新婚さん御用達の水上コテージよりも上

そんな旅の宿の空間に非日常性の憧れを抱く気持ちは、とりもなおさず日常空間の貧しさの反動なのだろう。大きな窓があって明るいけれどレースのカーテンを開けられない閉ざされた「眺めのない部屋」に慣らされた現代の日本人。かといって圧倒的な眺望を売りにするタワーマンションが本当に「眺めのいい部屋」と呼べるのかも疑問である。木々の緑は感じられないし、下界を見下ろす感覚が先の従姉の階級意識と重なってかなり微妙な心持ちがする。

一昔前の日本家屋において一番眺めのいい部屋はいわゆる座敷であった。庭と融け合ったひと繋がりの空間であり、そもそも全ての建具を引き込めば窓そのものが無くなるように造られていた。そこまでの理想を現代の都市環境で40坪の住宅に求めるのは難しいけれど、設計のなかで窓の位置と大きさを周囲の状況をにらんで工夫する意味は大きい。庭はなくてもいい。窓越しに1本のシンボルツリーの四季を楽しめればいい。何らかのタクラミを持って窓を開ければ、日常の場を正しく「眺めのいい部屋」にできるはずなのである。