住宅設計雑感(02作文のすすめ)

家づくりの依頼をする時、思いのタケを作文にしたててみてはいかがでしょうか。

まとまった文章を書くのは結構骨の折れる作業ですが、だからこそ思いが伝わります。
生まれ育った家の記憶や、理想の家族像、その場所を選んだ訳、家とのつきあい等々。
一般的な箇条書きの要望書には、そもそも自分たちがわかっていない事は書けません。
その先は建築家に感じとって欲しい部分。
たとえ話やモヤモヤした抽象的な表現OK。
文面からにじむニュアンスやホンネ。
投げかけられた建築家は、何度も何度も慎重に読み返す事になるでしょう。
「夢」の実現に向かうコミュニケーションのバイブルとして。

ホームバー:ニュアンスを感じてつくりました。

住宅設計雑感(01地域の環境と住宅の緑化)

設計室のある加茂では、街のどこにいても周囲の山の緑が目に入る。
北越の小京都と呼ばれる所以である。
しかし、本家京都もそんな傾向があるように思うのだが、まちなかを積極的に緑化していこうというモチベは低い。
もともと自然豊かな土地柄で暮らしていると、建て込んだまちなかにわざわざ樹を植えなくても、身近な緑化として鉢植や坪庭などで間に合ってしまうのか。
一方、田んぼや古い屋敷跡などを開発したいわゆる分譲地では、そうは言っていられない。
もともとそこにあった自然を記憶として継承するような、ゆたかな街づくりを目指す積極的な努力が必要だ。
一区画40坪では2区画買わないと庭らしいスペースを確保するのは難しいが、まちなみ形成への参加意識や建て方の工夫ではんなりとした居心地の良い場所はいくらでも生みだせる。建築家や、家を造り売っている側の責任は重い。商売のネタとして、無垢材だ塗壁だとプライベートな部分での自然志向ばかりを煽っている場合ではないはずだ。
もっとインディビジュアル(※)な部分で自然やまちなみへの配慮を示したい。
個人の住宅だからこそ、如実に住み手や設計者の品格がにじみでるように思うのだが。

※:日本語では「個人的な」と訳されるが、建築の世界では「周辺環境に影響を与える個人所有物」に対する概念。例えば建物の外観や看板は個人のものである一方、景観形成という意味で社会的な責任も負っている。某漫画家の自邸が論争になった事もある。

ps. 7月末で一旦終わったエコポイント。再開のあかつきには、ぜひ「植樹」へのポイント付与を望み
  ます。

このくらいの関係でありたい。
悲しいけれど、かっての屋敷森の記憶は継承されないだろう。

Macフェチ?

昨年新しいパソコンを買いました。
CADと周辺機器(特に大判のプリンター)の絡みがあって、なかなか思い切れずに1998年製の古いMacをメインに使い続けていたのですが、これでやっと人並みなコミュニケーションができるようになりました。
小規模な設計事務所がCADを導入しはじめたのが15年位前だったでしょうか。
当時、どのCADソフトにするかで随分熱心に検討していた記憶があります。
そのころのCADは「黒い画面に太さごとの色付線」で書いていくのが主流だったのですが、紙に鉛筆で描き、その絵面(えづら)をたよりに設計していた私たちには、どうにも受け入れ難い感覚でした。
そんな状況のなか、唯一「白い画面に黒い線」でかけるソフトが「mini Cad」(現Vector Works)で、これが当時はMac専用だった事が今につづくMac遍歴の始まりだった訳です。

新しい i Mac  人並み以上によく働くすぐれものかと、、、
おつかれさま。4Gのハードディスクでよくぞがんばった。
番外編:自宅の本棚に収まる Mac君(Macintosh Plus)。デザインが好きで、集めてる人もいるらしい。
    これは、妻が退職金がわりにと、ある会社からいただいてきたもの。

雪を楽しむ

寒波がひとだんらくした穏やかな週末でした。
まだ雪と闘っている地域の人たちには申し訳ない気持ちを抱きつつ、雪を楽しんできてしまいました。

福島潟の遊歩道

新潟市内でも、2シーズンつづきの雪国らしい降雪で、「雪を楽しむ場所のある家」なんてのもおもしろそうかと感じたしだいです。

Good by 赤パンダ

15年ほど乗っていたFIAT Pandaですが、とうとう引退させる事にしました。
昨年の秋以降グズリ方がはげしくなっていて、診断の結果はエンジンの寿命。「蓋」のゆがみが進行していて、ガスケット(パッキン材)をかませても「身」の部分とピタッと合わなくなってしまっているとの事。隙間からいろんなものがもれ放題になっていたらしい。エンジンのオーバーホールをして乗り続ける事も考えたのですが、20万キロ(地球を5周)をこえた老体。次々別の部分があげ続けるであろう悲鳴には耐えられないなと判断しました。これまで辛抱強くメンテをしてくれたアルファロメオ新潟のスタッフの皆さん、ありがとうございました。
また、「ずっと乗りつづけて下さいね」と励ましていただいていた皆さん、ごめんなさい。

普通の小さな車なのに、こんなふうに感じさせられてしまうのはなぜなのか。
きっと、設計者ジウジアーロのデザインの魔力にからめとられていたのだなと再認識しています。
普通の小さな家をつくる時のこころがまえをおしえられているようです。

タイヤをかえてもらえずに放置
207866Kmでした。