材料検査

木材の材料検査で台湾へ行ってきました。
原木はバンクーバー産なのに、カナダや日本で製材しないで、わざわざ台湾を経由するあたりがミソなのでしょう。
もともと台湾檜で有名な土地柄ですから、材木のあつかいはおてのものだし、
又、柾だ杢だという日本的な要求にも対応できるあたりが重宝されているようです。
特に今回は、節の無い材料を大量に使う仕事だったので、国内で調達するより断然おとくだったみたいです。

それにしても、イタリアの石を中国で加工するとか、鉄骨を韓国で製作するとか、開かれていく事は良いことなんだけれど、ちょっとだけ寂しさを感じてしまうのは、年のせいかしら?

台湾の人は働きものです。かって日本にもこんな風景があったよなと。
巨大な原木。節の無い材料がとれます。
ほんとに流しちゃいけないらしい。紙。

住宅設計雑感(02作文のすすめ)

家づくりの依頼をする時、思いのタケを作文にしたててみてはいかがでしょうか。

まとまった文章を書くのは結構骨の折れる作業ですが、だからこそ思いが伝わります。
生まれ育った家の記憶や、理想の家族像、その場所を選んだ訳、家とのつきあい等々。
一般的な箇条書きの要望書には、そもそも自分たちがわかっていない事は書けません。
その先は建築家に感じとって欲しい部分。
たとえ話やモヤモヤした抽象的な表現OK。
文面からにじむニュアンスやホンネ。
投げかけられた建築家は、何度も何度も慎重に読み返す事になるでしょう。
「夢」の実現に向かうコミュニケーションのバイブルとして。

ホームバー:ニュアンスを感じてつくりました。

住宅設計雑感(01地域の環境と住宅の緑化)

設計室のある加茂では、街のどこにいても周囲の山の緑が目に入る。
北越の小京都と呼ばれる所以である。
しかし、本家京都もそんな傾向があるように思うのだが、まちなかを積極的に緑化していこうというモチベは低い。
もともと自然豊かな土地柄で暮らしていると、建て込んだまちなかにわざわざ樹を植えなくても、身近な緑化として鉢植や坪庭などで間に合ってしまうのか。
一方、田んぼや古い屋敷跡などを開発したいわゆる分譲地では、そうは言っていられない。
もともとそこにあった自然を記憶として継承するような、ゆたかな街づくりを目指す積極的な努力が必要だ。
一区画40坪では2区画買わないと庭らしいスペースを確保するのは難しいが、まちなみ形成への参加意識や建て方の工夫ではんなりとした居心地の良い場所はいくらでも生みだせる。建築家や、家を造り売っている側の責任は重い。商売のネタとして、無垢材だ塗壁だとプライベートな部分での自然志向ばかりを煽っている場合ではないはずだ。
もっとインディビジュアル(※)な部分で自然やまちなみへの配慮を示したい。
個人の住宅だからこそ、如実に住み手や設計者の品格がにじみでるように思うのだが。

※:日本語では「個人的な」と訳されるが、建築の世界では「周辺環境に影響を与える個人所有物」に対する概念。例えば建物の外観や看板は個人のものである一方、景観形成という意味で社会的な責任も負っている。某漫画家の自邸が論争になった事もある。

ps. 7月末で一旦終わったエコポイント。再開のあかつきには、ぜひ「植樹」へのポイント付与を望み
  ます。

このくらいの関係でありたい。
悲しいけれど、かっての屋敷森の記憶は継承されないだろう。

冷蔵庫の色

連日の猛暑にへこたれたのか、事務所の冷蔵庫がダウン。
ピンク色した希少品は、あわれ家電ゴミとして配送屋にひきとられていきました。
事務所の内装にそこはかとなくなじんでいたのに、、、
(実は事務所の壁はピンクの石膏ボードむきだし、やけくそで床もピンク!!)

白もの家電と称される割に、冷蔵庫もシンプルな白って少ないです。
さすがに緑色(どうがんばっても観葉植物のかわりは勤まらないと思うけど)は絶滅してますが、微妙な色合いのメタリック調のものが売れているようです。
おそらく業務用のステンレスむき出しのかっこよさを真似ているのでしょうが、所詮はプラスチック。いさぎよい「白」の方がよっぽど気持ちいいのに。

建築のデザインと家電製品との戦いは永遠に続く運命にあるのでしょうね。

この大きさだと罪はありません。

白井晟一展

汐留ミュージアムで開催中の「白井晟一展」をみてきました。
あらためて空間や造形にこめられた精神性の高さに感動。
ほんのすこしだけれど、俗世の垢を洗いおとせたような気がします。

また今回の展示では、たくさんの図面(原図)も見る事ができます。
とてつもなく美しい、オーラを感じる図面です。
むろんプレゼン用の計画図じゃなく、トレペに鉛筆描の「実施図」。
まさに、建築をつくり上げる意思が図面に表現された感じでした。

学生のとき、白井の代表作「呉羽の舎」の図面をひたすらコピー(オリジナルを模写)するという課題がありました。どこか、仏典の写経に通じるものがあったのか、講義では伝えられない大切なものを、しらずしらず身につけていけたように思います。
それにしても昨今は、大工をはじめとする職人の技術継承について偉そうな事をいっている割に、自分たちの問題として、気持ちの入った図面を描く技術はどこへいってしまったのでしょう。

教科書。昭和44年の初版から、これは56年の11刷版。今も売ってます。
1軒の住宅の図面で、140ページある1冊の本になってます。
残念ながら、手書の図面ではありませんが。

Macフェチ?

昨年新しいパソコンを買いました。
CADと周辺機器(特に大判のプリンター)の絡みがあって、なかなか思い切れずに1998年製の古いMacをメインに使い続けていたのですが、これでやっと人並みなコミュニケーションができるようになりました。
小規模な設計事務所がCADを導入しはじめたのが15年位前だったでしょうか。
当時、どのCADソフトにするかで随分熱心に検討していた記憶があります。
そのころのCADは「黒い画面に太さごとの色付線」で書いていくのが主流だったのですが、紙に鉛筆で描き、その絵面(えづら)をたよりに設計していた私たちには、どうにも受け入れ難い感覚でした。
そんな状況のなか、唯一「白い画面に黒い線」でかけるソフトが「mini Cad」(現Vector Works)で、これが当時はMac専用だった事が今につづくMac遍歴の始まりだった訳です。

新しい i Mac  人並み以上によく働くすぐれものかと、、、
おつかれさま。4Gのハードディスクでよくぞがんばった。
番外編:自宅の本棚に収まる Mac君(Macintosh Plus)。デザインが好きで、集めてる人もいるらしい。
    これは、妻が退職金がわりにと、ある会社からいただいてきたもの。
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