分譲マンションの管理問題がメディアを賑わしている。
中でも深刻なのは築40年以上の古い建物が管理不全に陥り廃墟化が進んでいる事。
「連帯感の欠如」した人たちが「区分所有」あるいは「共有」しているのだから金銭問題がからむ意思統一はほぼ不可能に近い。
バブル期の「地上げ」のように、細分化した権利を統合することができれば、なんらか解決策は見いだせるのかもしれないが、、、。
そんな状況がある一方で、新潟など地方の中核都市でも新規のマンション建設が息を吹き返している。
しっかり完売しているようだ。
安心して「終のすみか」とできるように、十分な修繕積立金と長期の修繕計画が用意され、以前に比べ格段に充実した管理体制をアピールしている。
建物の寿命を延ばそうとする努力は評価に値する。
しかし、単に廃墟化までの時間を稼いでいるにすぎないとも言える。
人の平均寿命の延びに対応する意味はあると思うけれど、権利関係が整理されない限りは、いずれ同じ課題を抱えることに変わりはない。
「街」的な時間軸から見れば、いたずらに問題を先送りしているだけのような気がする。
以前私が所属していた設計事務所では、マンションといえば「賃貸」。
ボスの矜持として頑なに「分譲」の設計は請けてこなかった。
細分化された権利関係がもたらす将来的な混乱を容易に予想できたからである。
デベロッパー主体のパターン化された建築が単純に設計意欲を削いでいたこともあるが、設計者として「街」の未来に対する責任意識も多分に持ち合わせていたつもりであった。
一方で、日本の住宅事情では当たり前に皆老後の安心のためにも「家は買」っておきたいと考える。
賃貸に住み続けて、年金生活に入った途端に高額な家賃が払えず、不便で古ぼけた公共住宅に引っ越すというわけにはいかない。
と考えれば家を買う本来の目的は、その「マンションを所有」したいのではなく「老後もずっと居住」したいという点にある。
もし住まなくなった時には地主に返還される「居住権」のようなものを購入する法制度があればそれで十分なはずである。
良い知恵はないものかと建築計画の世界では、集合住宅のひとつの理想形を模索する試みとして、定期借地権+スケルトンインフィル形式のコーポラティブハウス(通称:つくば方式マンション)というスタイルがあみだされた(詳細はこちら参照)。
30年後の買取オプションなどで将来的には地主に権利関係が集約できるので、根っこの問題は解消される。
また住む側にとってもメリットが多い。
1、土地代(借地権)が安い。
2、インフィルは水周りの配置を含めて購入者が自由に作れる。
3、住民同士の連帯感が生まれる等々。
ところが、一般にはなかなか普及しなかった。
もともと小規模(20戸程度)向きのシステムだったため、大手デベロッパーが参入しなかった事が最大の原因。
小規模なコーポラティブ専門のデベや設計者が音頭をとってしばらくは話題を集めていた時期もあったのだが、購入予定者の意見調整などに莫大な労力を要することで、こちらも皆へこたれてしまった。
ここにきて分譲マンションが本質的に抱える宿命が現実に社会問題化し、遅きに失した感はあるが、もう一度このシステムを復活させてはどうかと思う今日この頃である。