プラットホーム

何気ないこんな空間に惹かれてしまう。
小さな鉄骨部材をサクサクと組み合わせただけのいたって合理的な構造。
それに絡まるトップライトからの縞々の光が魔法をかける。
全体の明るさも丁度いい。
駅ビルにしちゃうとこうはいかない。
終着駅なので、いちばん端っこからの風景になるのも良い。
大阪・天王寺駅の阪和線プラットホームでした。

ひるがえって、新しい新潟駅のホームはどんな空間になるのだろう。
確か在来線も最上階に乗り入れる計画だったと記憶している。
どんな光のマジックを考えているのだろうか。
期待と不安が交錯する。

新潟のBRT

先日、新潟駅前からBRTに乗ってみた。
古町での飲み会に行くためである。
残念ながら、何かが「変わった」のだと感じられるものがない。
「魅力的で人にやさしい未来の新潟市」を予感させるものがない。
巷では乗り換えの不便さや、税金の無駄づかいだとの指摘から廃止論まで飛び出すありさまだ。
メディアはメディアで、前後の脈絡は省略して小さな不具合の事実だけを小ネタ的に垂れ流す。
確かに現状は30億の税金が有効に機能しているとは実感できないし、むしろ不便になったという意見ももっともな指摘であると思う。
最初の一歩であるとはいえ、いや、最初の一歩だからこそ「あ!変わったねっ。」と感じられる何かをうみだす必要があったはずだ。
その部分については初期投資予算の少なさを言い訳にしてはいけないと思う。
しかし、新潟市の公共交通システムの改革は絶対に必要な喫緊の課題だという思いは変わっていない。
蹴つまづきながらでも、その具体的な一歩を踏み出した意味は小さくないし、机上論から実際に運行が始まった事で、市民の関心も高まった。
身近な問題としてやっと本気で議論できる土壌がととのった事こそが重要である。
何故やらなければいけないのか、どんな未来像をえがいているのか、その点で市民のコンセンサスをまとめあげ、冷静に原点を見つめ直すよい機会である。
そういう土壌をつくる為の30億であると割り切れば、あながち高い買い物ではなかったのではと思う。
人の心を動かす値段はプライスレスなのだから。

5分毎にバスは来るが、連接バスは1時間に1便。

シャガール

小さな農家レストランのサラダバー(店主いわく)。
ひと通り皿に並べてみたらこんな感じになりました。
どこかシャガールの絵っぽい色づかい。

「菜っ葉の塩茹で」

「紫はくさいの水煮」

「カブのピクルス」

「大根の千切り」

「赤米の米粉パン」

「ピリ辛ドレッシング」

旬の野菜達と、コーディネイトした店主に拍手!

旬といえば、農業特区の制度で農地にレストランが建築可能になったとか。
手続きとかを調べてみると、都市計画法の「開発行為」クラスの時間と労力が必要なようで、それなりの規模を想定しないと手が出せないように思います。
どうもピントがずれてるような。
そもそも農家レストランが魅力的なのは、手作りの食材ともうひとつ、オープンエアーな空間で景色をおかずに食事ができるって事なのでは。
天気の良い日にパラソルの下でランチするって感じ。
100席もあるようなファミレスみたいなのはいらないでしょ。

石造のまち

ヨーロッパではありません。

光の加減でちょっと雰囲気がでてますが、実はここ、小樽です。
にぎやかな観光スポットとは反対方向の、やや過疎ってる地区の写真です。
写ってる建物、石造のように見えますが、小樽の倉庫は木骨石造という構造なんだそうです。
木造の骨組みが基本で、その外側に石積で外壁をつくるというもの。
当時、倉庫に求められた最大の機能のひとつは、火災による延焼から荷物を守る事。
一般的にはレンガがつかわれていますが、ここ小樽では地場で産出する石材を用いています。
それが日本らしくない独特の街並を形成するもとだったのですね。
「地の材料を活かす」これやっぱり建築におけるひとつの基本です。

歴史的な建物が保存されているまちに来るといつも思います。
以前のブログにも書いてますが、古い物を大切に使いつづける事の大変さと意味。
かっての小樽は、明治・大正の時代をとおして横浜や神戸に次ぐ港湾都市として繁栄していました。
実際、札幌(幌内炭坑)と小樽を結ぶ鉄道は日本で3番目に開通した路線だそうです。
が、ごたぶんにもれず経済性と利便性を追求する時代を経て、ここでも当初の役目をおえた建物が増えてゆきます。
また、運河を埋め立てて道路化する計画なども進められたようです。
しかし、それらの洗礼をうけながらもかっての姿をとどめる小樽の街並。
不遇の時代にあってもその価値をみいだし、大切な遺産としてうけついでくれた人たちの、なみなみならぬ努力に敬意を表します。

電信柱

以前に電柱と景観の話を書いた事がある。
緑豊かな美しいまちなみも電柱の存在がだいなしにしていると。
先日こんな電柱を見つけた。
「でんしんばしら」といった方がイメージが伝わるかも。
レトロな蛍光灯がひとつぶらさがっているだけなので、正しくは電柱とは呼ばないのかもしれない。
高さ4M程の丸太。
樹種は判然としない。
美しいシルバーグレーに退色している。
この背の低さが安心感のみなもとか。
屋根より高いのは、樹木と鯉のぼりくらいにしてもらいたい。
下水道の普及率が高まって河川の水質は改善されてきました。
インフラ整備の次期ターゲットは町の景観を改善できる電柱電線の地中埋設化。
これで決まりでしょう。

日本の伝統色

「日本の伝統色」という色見本帳は秀逸である。
ぼくらの肌感覚にフィットする色であふれている。
さっと広げてみるだけでもなんとなく「和」を感じる。
色の名前もほとんど漢字表記で、植物や動物など自然界由来の名前が多くその由来の解説までついているので眺めているだけで楽しめる。
例えば「朱華(はねず)」なんて色があります。
ちょっとオレンジがかってくすんだサーモンピンク。
飛鳥時代から高貴な人の服の色に用いられたそうな。
確か関西国際空港の竪導線(エスカレーターやエレベーター)がこんな色だったはずです。
そんなふうに建築の内部空間では「色」を楽しむ文化が継承されている部分もあります。
例えばふすま紙や畳のヘリ・土壁等々が代表的なところ。
一方、日常的な風景のなかでは景観としての「色」のあつかいに無頓着なものが多いのも事実。
建築物の外装や広告看板は言うに及ばず。アーケードや橋梁等の鉄骨造のインフラ、自動販売機やゴミ箱、バスやトラムといった移動体のカラーリング。
「機能的」や「無難」に逃げ込むな!
景観形成という言葉が頻出する今日このごろ。
積極的に街のなかの「色」について考えてみる、そんな流れを加速させたい。

「フランスの伝統色」や「中国の伝統色」なんてのもあるらしい。

田んぼの中の建築

田んぼの中を走るバイパス国道沿の風景です。
雑木林の方は、某機械メーカーのヘッドクウォーター。
森で囲った広大な敷地、工場をはじめとする関連施設はゆとりを持ってレイアウトされている。田園風景との調和。
「いいね」押しちゃいます!!
こういう作り方は、相当な強い意思があっての事。
きっと、欧米の工場視察などで勉強されたのだろうなと想像します。
単純なそろばん勘定だけではない、働く環境と景観への投資として。

一方、同じ場所のとなりの風景。
燕市新庁舎周辺、建物自体は悪くないと思うよ、でも何かが足りない・・・。

電柱

六甲山裾の住宅街散歩であらためて実感しました。
電柱と電線がなんと邪魔な事か!
美しい街並になればなれほど、逆にめだっちゃうんですね、困った事に。

これは、「目神山12番坂」。
建築家の「石井修通り」といえるような氏の住宅が集中する場所なのですが、ほんとになんとかならんのでしょうか。

一方こちらは、阪急芦屋川駅周辺の何のヘンテツもないように見えるまちなみ。
でもここ、とても良いです。
川と山と緑があり、道路・歩道の巾と沿道の建物の高さの関係が絶妙で、おまけに電柱なし。

発電問題

こんなかたちで自然エネルギーの導入議論に拍車がかかるとは。
住宅を設計する立場の我々にも積極的な取り組みが求められているわけですが、
お手軽にソーラーパネルをパタパタ並べていくのはいかがなものかと感じています。
単純にかっこわるいし、のきなみあのパネルで埋め尽くされた街並を想像すると、それだけで陰鬱な気分になるのは私だけではないはずです。
エアコンの屋外機といっしょで、どうやって目にふれないところに納めようかと。
新たな厄介者がひとり増えたわけです。
単発的に特殊な屋根形状を取り入れる事は可能であっても、街並レベルの解決にはならないよな〜・・・
だれか良い解決策をお持ちのかたはいませんか?

こんなソーラー街灯がありました。
http://www.metaefficient.com/leds/solar-trees-may-light-up-europe.html

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